Pages

Thursday, February 20, 2020

Ball STORY:「何度でもはい上がる」 不死鳥、巨人・大竹「初球、カーブ」からの歩み - 毎日新聞 - 毎日新聞

 生きの良い若手投手が、必死にアピールするかのように、威勢の良い声を上げながら腕を振る。巨人の春季キャンプのブルペンは日々、活気にあふれていた。その中で自分のペースを大切にし、ボールを投げ込む大竹寛投手(36)の姿は、逆に印象的だった。

 「お願いします。初球、カーブ」。大竹のブルペンでの投球練習は大抵、このかけ声とともに始まる。私が取材してきた中では、まずは直球を投げながら、フォームのバランスや、指先の感覚を確かめる投手が多かった。

 しかし、大竹は違う。緩いカーブを2~3球投じると、小さくうなずき、そこから直球や代名詞のシュート、スライダーなどの変化球をテンポ良く投げ込む。練習終わりに、その理由を尋ねた。

昨年、阪神とのクライマックスシリーズファイナルステージ第3戦で、5番手として登板した巨人・大竹=東京ドームで2019年10月11日、滝川大貴撮影

 「縦の意識を大事にしたいから」と説明する大竹は「もっと大きな意味もあって……」と言葉をつなげた。

 「10年ほど前に肩を痛めたんです。全然、投げられなくて、(捕手を)座らせるのも怖かった時に、(思い切り腕を振る)真っすぐを投げるのは怖かった。最初に(緩い)カーブを投げていた。それがずっと癖になっている」

再起をかけ、投球練習に取り組む広島時代の大竹=2011年2月6日、吉見裕都撮影

 当時、広島に在籍していた大竹は慢性的な右肩痛に悩まされていた。2010年の春季キャンプの際、「器用ではないので」と3日間で440球を投げ込み、右肩が悲鳴を上げた。他のケガも重なり、この年は3試合1勝0敗。翌11年シーズンもケガに悩み、6試合1勝1敗に終わった。

 「今年やらなきゃ野球人生駄目だ」と不退転の決意で臨んだ12年シーズン。「剛腕」から「技巧派」へモデルチェンジを図り、自己最多11勝をマークした。オールスターに出場し「カムバック賞」にも選出。「満足に投げられず、いろいろな人に支えてもらった」と表舞台に舞い戻った。

 諦めない姿勢は、10勝を挙げた13年シーズンのオフ、巨人にフリーエージェント(FA)移籍してからも同じだ。ケガや若手の台頭で、成績は下降線をたどった。18年シーズンはわずか2試合の登板で1勝1敗。「正直、クビを覚悟していた部分もあった」。契約更改交渉後に出た言葉は、偽らざる本音だった。

 それでも、昨季は救援投手として生きる道を切りひらく。32試合に登板し節目の通算100勝を含む4勝。防御率2・77と復活を鮮烈に印象づけた。日本代表「侍ジャパン」に招集され、国際大会「プレミア12」に出場。特に右打者の内角をえぐるシュートは強打者ぞろいの外国勢にも有効で、侍ジャパンの主要国際大会10年ぶりの世界一に貢献した。

投手陣では2番目の年長者となり、若手にも助言を送る巨人・大竹(左)=那覇市で2020年2月17日、角田直哉撮影

 苦境に立っても、何度でもはい上がる――。「初球、カーブ」の一言からたどっただけでも、大竹の歩みには、胸が熱くなった。プロ19年目の今季は、チームの投手陣では上から2番目の年長者。昨季の柱だった山口俊が米大リーグに移籍し、東京五輪も控えるなど、また大きな役割を担う一年になりそうだ。「状態を整えて、何でもできる体づくりをしたい」。決意表明の言葉は、シンプルな一言。それが、次のストーリーへの期待感を高める。【角田直哉】

おおたけ・かん

 1983年5月21日生まれ。埼玉県出身。浦和学院高から2001年ドラフト1位で広島に入団。13年オフにFA権を行使して巨人へと移籍した。チーム内では大の「ラーメン好き」としても有名。通算成績は101勝99敗、防御率3・79。

Let's block ads! (Why?)



"上がる" - Google ニュース
February 21, 2020 at 05:15AM
https://ift.tt/38O2uK3

Ball STORY:「何度でもはい上がる」 不死鳥、巨人・大竹「初球、カーブ」からの歩み - 毎日新聞 - 毎日新聞
"上がる" - Google ニュース
https://ift.tt/37Nqrkm
Shoes Man Tutorial
Pos News Update
Meme Update
Korean Entertainment News
Japan News Update

No comments:

Post a Comment