高校時代、サッカーのインターハイで埼玉県代表となった中西裕太郎さん(25)。将来を有望され、進路は引き手あまたの人生から一変、突然の心臓疾患によりサッカー選手への道を絶たれました。高校卒業後、ベンチャー企業の創業に携わった後、大手企業への転職、そして23歳で、自身の会社を起業しました。若いアスリートには「今いるスポーツ業界は離島。資本主義とは別の世界にいる」と呼びかける中西さん。選手時代に培った「間合いの取り方」で面接を乗り切り、起業にいたるセカンドキャリアの道のりを聞きました。(ライター・小野ヒデコ)
1994年6月埼玉県生まれ。学校法人武陽 西武台高校のサッカー部に所属し、2012年にインターハイ埼玉県代表になるも、心臓疾患を発症。高校卒業後、プログラミング教育事業のベンチャー企業「インフラトップ」の創業に携わる。2016年にリクルートキャリアに転職。2018年にAspole(現TENTIAL)を創業し、現在に至る。
12歳で味わった初めての挫折
<小学校時代は文武両道タイプ。しかし、「選ばれない」ことを経験>
サッカーをはじめたきっかけは、幼稚園の時にボールを蹴ったときにたまたま上手かったからです。あとは、素直にモテたかったから(笑)。サッカーが上手いと人気者になれると思っていました。
幼稚園からサッカークラブに入り、小学校では地元の少年サッカーチームに入りました。サッカー少年が憧れる10番をつけて、キャプテンをしていました。勉強も出来る方だったので、自分に出来ないことはないと思っていましたね。
その自信が崩れたのは、中学校に上がる時でした。地元の埼玉県はサッカーが盛んで、同級生でJリーグの浦和レッズやプロサッカーチームの大宮アルディージャの下部組織の選手に選ばれる中、僕は選ばれなかったんです。
県の選抜選手にも選ばれていて、自信があったので余計に悔しかったですね。生まれて初めて挫折を味わいました。
18歳で泣きながら遺書を書いた
<念願のインターハイ出場が決まった矢先、病気を発症。夢、破れる>
サッカーにおいては、オールラウンダーだったことが強みでした。何かが飛びぬけて優れているわけではなく、当たり前のことを人より少し多くできる。それで勝ってきた人間でした。
高校は、サッカーの特待生として進学しました。サッカー部員は約180人いたのですが、誰よりも早く朝練を始めたり、先輩にアドバイスを求めたりと地道に努力をした結果、スタメンを勝ち取りました。
そして2012年の高校3年の夏、2年ぶりに埼玉県代表になったんです。インターハイに出場すると有名大学からのサッカー推薦や、Jリーグからのオファーの可能性が出てきます。メディアにも注目選手として取材され、プロへの道が開き始めたと思いました。
そんな時、練習中に突然動けなくなるほどの激痛が胸に走ったんです。精密検査をした結果、狭心症の疑いがあると診断されました。即入院で、カテーテル手術をすることになりました。幸い命に別状はなかったのですが、病気になったことで、声かけてもらっていた進路がすべて水の泡になりました。
突然プロサッカー選手への夢が閉ざされ、絶望しましたね……。自暴自棄になり、両親、家族、友人やそのお母さんなど、お世話になった人へ泣きながら遺書まで書きました。
プログラミングを独学で学ぶ
<ベンチャー企業の創業に携わり、将来起業したい気持ちが芽生える>
高校卒業後は何もせず、やさぐれていた時、たまたまオバマ元米国大統領がプログラミングの可能性を若者に向けて語っている動画を目にしたんです。「新しいビデオゲームを買うだけではなく、自分で作りましょう」という一言が胸に刺さりました。
そこで、HTML、JavaScript、Rubyなどの基礎を独学で身につけ、簡単なウェブサイトを作成できるまでなりました。そうすると、これまで「サッカー上がりの若造」という目で世間から見られていたのが一転、評価されるようになったんです。
プログラミングによって人生が変わる体験を伝えたいという思いから、プログラミングの教育事業を目指すインフラトップというベンチャー企業の立ち上げに志願しました。19歳で事業責任者を務めたのですが、創業1年で年商1億円になるほど会社は急成長しました。
今までJリーガーになるという内向きの思考だったのが、病気をし、プログラミングを学んだことで、社会に対して何が還元でき、何を残せるのか、という外向きの視点に変わったんです。
自分がしたいことはスポーツや健康に携わる仕事という本心にも気づきました。人はゼロからでも挑戦したら道が拓ける。ポテンシャルは無限大ということを具現化すべく、自分で会社を作るという思いが芽生え始めました。
転職の面接、「間合い」の取り方が生きる
<自分の足りない点を補うべく、21歳でリクルートに中途採用で転職>
起業を考えた時、自分に足りないのは、経営戦略の立て方、事業の作り方、組織マネジメント力だと考えました。それらのスキルを身につけるには、「リクルートキャリア」の事業戦略の部署が最適だと考え、ピンポイントで中途採用枠に応募しました。
面接で生きたのは、サッカーで養った、相手の動きを読み、ボールを取られない距離を保つ「間合いの取り方」です。想定質問とその答えを念入りに準備し、自分のペースで受け答えできました。結果、採用に至りました。
リクルートキャリアでは、考えた事業戦略を端的に、わかりやすく、1000人以上いる営業部隊に伝え、動いてもらうことを学びました。
サッカーでは、優勝という明確な目標がチーム内に暗黙の了解として共有されていました。でも、仕事の場合、部署が異なればゴールは異なります。
組織をいかに動かし、現場まで戦略を浸透させ、社員全員が同じ目標を分かち合うことができるか。そして、その目標を具体的にイメージさせるか。そのスキルが、起業し、社長となった今に生きていると感じています。
現役時代、世の中について知っておく
<スポーツ業界は「離島」。時には立ち止まることも大事>
2018年に、インソールの開発から販売まで行うベンチャー企業を起業しました。会社名のTENTIAL(テンシャル)は、好きな言葉の「ポテンシャル」に由来しています。会社は今年で3期目になり、年々規模が大きくなっています。これからも大きくなる予定ですが、サッカーチームのように、社員全員が同じ目標を共有し、同じモチベーションで進める組織にしていきたいです。
体の方は、今は問題なく経過観察中です。でも、人より寿命は短いのではと思っています。仮に自分がいなくなっても、「スポーツとテクノロジーによって世の中を明るくしていく」という思いを後世に残していきたいと思っています。
もし病気になっていなかったら、それなりに満足する生活を送っていたと思います。でも、こうして起業することはなかったと思います。病気になったこと、今では良かったと思えます。それを証明するためにも、これからも会社を伸ばしていきたいです。
若手のアスリートの方に伝えたいことは、「今いるスポーツ業界は離島。資本主義とは別の世界にいる」ということ。現役時代は目の前の試合や自身のスキルアップに集中しがちだと思います。
でも、時には少し立ち止まり、周りを見てみてください。元アスリートで、今は社会で働いている人は多くいます。僕のその一人です。そういう人に話を聞きにいくことも一つだと思います。
世の中や社会の仕組みを知っておくことが、後々セカンドキャリアの可能性の広がりにつながると思います。
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高校球児もあの監督も…「埼玉ポーズ」集
「そうだ埼玉.com」より
埼玉県庁の魅力発信担当・小林直樹さんと津田塾大学3年の大奈良千夏さん=2019年3月、さいたま市 出典:朝日新聞社
夏の甲子園で2017年に埼玉県勢として初優勝した花咲徳栄の選手たち=17年8月、兵庫県伊丹市 出典:朝日新聞社
自転車のプロチーム「さいたまディレーブ」の選手たち=2019年12月、さいたま市 出典:朝日新聞社
かすかべ親善大使のはなわさんと石川良三・春日部市長=2019年3月、春日部市役所 出典:朝日新聞社
昨年公開の映画「翔んで埼玉」の武内英樹監督=2019年2月、さいたま市 出典:朝日新聞社
「埼玉ポーズ」を考案した早藤真紀さんは手話ダンサーの第一人者だ=2020年1月、東京都新宿区 出典:朝日新聞社
「埼玉ポーズ」が表す県鳥シラコバトは県のマスコットにもなっている。コバトン(左)とさいたまっち 出典:埼玉県ホームページ
昨年8月の埼玉県知事選ポスター。漫画「翔んで埼玉」とコラボした 出典:埼玉県選挙管理委員会
昨年10月の参院埼玉補選ポスター。再び漫画「翔んで埼玉」とコラボした 出典:埼玉県選挙管理委員会
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