Pages

Tuesday, April 27, 2021

歴博の特集展「海の帝国琉球」 浮かび上がる「帝国性と侵略性」 - 毎日新聞 - 毎日新聞

layaknaik.blogspot.com
東平安名崎から見る宮古島の海=沖縄県・宮古島で2015年11月、伊藤和史撮影
東平安名崎から見る宮古島の海=沖縄県・宮古島で2015年11月、伊藤和史撮影

 「万国の懸け橋」を自任し、東アジアの大交易時代に輝かしい足跡を記した琉球王国を新視点で見直す「海の帝国琉球―八重山・宮古・奄美からみた中世―」展が、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)で開かれている。海洋国家の爽快なイメージからは意外な「侵略性」「帝国性」にスポットが当てられ、新しい歴史像として刺激的だ。

 沖縄本島を中心に、北は奄美から南は八重山・宮古までを版図とした琉球王国。第二尚氏王朝の尚真王(在位1477~1526年)時代が最盛期といわれる。本土では室町幕府が弱体化し、応仁の乱から戦国時代へと中世も終わりにさしかかった時期に当たる。

 治世50年に及び、繁栄のシンボルとして語られる尚真王。しかし、それは王国内中央の勝ち組の描いた歴史像であり、版図に組み込まれていった周辺の島々からは全く別の姿が見える――これが本展のスタンスだ。

 展示チーム代表、村木二郎・同博物館准教授(中世考古学)によれば、八重山や宮古に関する当時の文献資料はなく、後年、第二尚氏が編さんした史書に基づく歴史像が流布することになった。ところが、それらの史書は「『野蛮な連中のところに俺たちが文明をもたらしてやった』というトーン」。そこで本展ではまず、文献を離れて考古学の成果に着目する。

八重山、宮古に大量の中国陶器

 展示会場で目立つのは陶磁器だ。13~15世紀、八重山(石垣島、波照間島、与那国島など)、宮古島の集落遺跡からは、中国製の青磁や白磁の破片が大量に出てくる。数万点に及ぶ遺跡もある。しかも、沖縄本島では出土しないタイプが見られ、中国と直接交易していたことがわかる。

 加えて、それらの集落はサンゴの石を積み上げた石垣で区画された独特な形態で、これも沖縄本島とは異なる。

 こうして本島とは別の流通圏・文化圏の中で栄えていた各集落だったが、15世紀をもって突如廃絶し、廃虚と化してしまう。多くの島々で同様の事件が起きた。

 その15、16世紀のまさに境目、尚真王治下の1500年に起きたのが「オヤケアカハチの乱」だ。王国側史書によると、八重山の「酋長(しゅうちょう)」アカハチは年貢の滞納をとがめられ、大軍を送られて滅ぼされたという。

 この記述は発掘が示す集落の断絶ぶりと見事に合致し、八重山社会に大変動が起きたのは間違いない。だが、それを「王国内の一酋長が反抗したため征伐した」と信用してよいものかどうか。

 「正史はそう言います。しかし、…

Let's block ads! (Why?)


からの記事と詳細 ( 歴博の特集展「海の帝国琉球」 浮かび上がる「帝国性と侵略性」 - 毎日新聞 - 毎日新聞 )
https://ift.tt/3xpNaQJ

No comments:

Post a Comment