『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が公開され、日本のアニメーションにとって一つの時代が幕を下ろした感のある2021年。この年は同時に、渡辺歩監督の『漁港の肉子ちゃん』、夏目真悟監督のTVアニメ『Sonny Boy』などのように、才能ある監督たちが新しい境地に到達した作品が登場した年としても記憶されそうだ。一作の力によって、にわかに未来の情勢が変化していくかに見える日本のアニメーション界だが、そこにもう一つ、無視できない存在が現れた。それが、劇場アニメーション『サイダーのように言葉が湧き上がる』である。
本作は、田舎に住む高校生の男女のひと夏の日々と恋愛が描かれる。その設定を聞くと、最近は少なくなってきた、『君の名は。』(2016年)のヒットを受けた類似企画のようにも思える。だが、その中身自体は至ってフレッシュだ。
舞台となるのは、田んぼが広がる広大な土地と、ショッピングモール、公団住宅などが点在する、典型的な日本の一地方である。しかし、その表現は平凡でなく、むしろ異質だ。そこにあるのは、スタジオジブリ作品に代表される詳細で細密に描いた風景でもなければ、新海誠監督作品に代表されるような、編集ソフトでフィルターを重ねた厚みのある風景でもない。ヴィヴィッドな色彩で塗りつぶされた、シンプルで鮮やかな世界が広がっているのだ。
この、斬新ながら懐かしい雰囲気を漂わせている画風は、漫画家・イラストレーターのわたせせいぞうの色使いを想起させる部分がある。だが、このヴィジュアルが懐古的なものになっていないのは、切り取っている対象が異なるからだろう。わたせせいぞうが描いてきた世界といえば、バブル経済の成長と連動した、日本人の豊かさの象徴である、“シティライフ”としての都会の街並みや、“レジャー”としての自然の姿だった。対して本作で映し出されるのは、あくまで日本の片隅であり、それほど裕福でもない若者の見る、いまの時代の等身大の世界である。
ヴィジュアルの面白さは、それだけにとどまらない。キャラクターや一部の背景のかたちを象る描線は、動画であっても輪郭の太さの強弱を感じるペンタッチがついたものだ。思い切った色合いが均質に塗られた色合いがもたらす静的なイメージに、繊細さや躍動感が加わる。これによって本作は、観客に感情移入をうながすことのできる、映画作品としてのバランスを獲得しているのである。
自宅、田んぼのあぜ道、ショッピングモール、バイト先の介護施設……いつもヘッドホンをつけて俳句を詠んでいる、ちょっとシブい17歳の少年チェリーの夏休みの日常は、この限られた場所の行き来を繰り返す単調なものだ。そんなある日、チェリーは、“カワイイ”を探して動画を配信している少女スマイルと出会う。彼女は、歯が出ていることをコンプレックスにしていて、いつも矯正器とマスクをつけている。二人は、バイト先のお年寄りの男性フジヤマの“大事なもの”を思い出させるため、彼が失くしてしまったレコードを一緒に探し始めることになる。
チェリーやスマイルをはじめ、強烈な背景に負けないキャラクターデザインを担当しているのは、愛敬由紀子。彼女は、本作の監督イシグロキョウヘイのパートナーでもあり、イシグロの初監督作であるTVアニメ『四月は君の嘘』でもタッグを組んでいる。本作はオリジナルということもあり、描かれるキャラクターは自由に想像を羽ばたかせている印象がある。この背景、キャラクター、ペンタッチなどによって生み出される、本作のアニメーションは、日本のアニメ界の常識からは、かなり外れたものとなっている。しかし、だからこそ、そこには鮮烈な驚きがあるのだ。
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