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Thursday, September 2, 2021

バイデン政権縛った「くびき」と「甘さ」 浮かび上がる“失態を生んだ構図” - SankeiBiz

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 【ワシントン=大内清】アフガニスタンからの米軍撤収に伴う混乱をめぐり、バイデン米大統領は、トランプ前政権がイスラム原理主義勢力タリバンと結んだ和平合意(ドーハ合意)に責任があるとの主張を強めている。経緯を振り返ると、前政権からのくびきにバイデン政権自身の甘さや硬直性が重なり、失態を生んだ構図が浮かび上がる。

 「米史上最長の戦争」はトランプ政権下で終結へ動き出した。米紙ニューヨーク・タイムズは2018年7月、トランプ大統領(当時)が、アフガン撤収の早期実現に向けタリバンとの直接交渉を模索するよう指示したと伝えた。タリバンとの協議はアフガン政府が行うとしてきた米国にとり、重大な方針転換だった。

 同年9月、アフガン出身のハリルザド元国連大使が担当特使に就任。カタールの首都ドーハでタリバン政治指導部との交渉が重ねられた。その“成果”が、20年2月29日に締結されたドーハ合意だった。

 骨子はこうだ。(1)米軍を含む全外国部隊は21年5月までに退去(2)タリバンはアフガンが米国やその同盟国への攻撃に利用されることがないよう保証(3)恒久停戦に向けてタリバンとアフガン政府が対話-。米国は信頼醸成措置として捕虜5千人の釈放や対タリバン制裁の見直しさえ約束した。

 20年5月には国連安全保障理事会がドーハ合意を全会一致で承認。これにより合意は強力な拘束力を持つものとなった。

 アフガンのガニ大統領(当時)は不満だった。特にタリバンの戦力増強に直結する捕虜釈放に抵抗を示したとされる。だが、米国を後ろ盾とするガニ氏は、タリバンとの交渉開始を承服するしかない。その一方でタリバンは後の政権参加をにらみ、ロシアや中国とも関係を深めていった。

 合意に基づき、米軍の駐留規模は1万3千人から8600人に縮小された。さらにトランプ氏は、大統領選で敗れた直後の11月にいっそうの削減を指示。バイデン政権が発足した今年1月時点で兵力は2500人まで減少していた。「アフガンを去るか、事態をエスカレートさせるかの選択肢しかなかった」。バイデン氏は撤収完了を受けた8月31日の演説で就任当時の状況を振り返っている。

 トランプ政権が約束した「5月1日」の撤収期限が迫る中、バイデン氏は4月、米中枢同時テロから20年となる「9月11日」まで期限を延長すると表明。これは後に「8月末」までと修正された。タリバン側の了解があったかは不明だ。

 これらの決定には「アフガンを見捨てるのか」との批判が付きまとった。政府軍が単独でタリバンに対抗できる可能性は低かったからだ。報道によれば、米情報機関は米軍撤収から「半年から1年」で政府が崩壊する恐れがあると分析していた。結果として政府軍はタリバンの攻勢を受けて急速に瓦解(がかい)し、8月中旬に首都カブールが陥落した。

 「タリバンが政府との対話を定めたドーハ合意を尊重していない以上、米軍の駐留継続は可能だったはずだ」との指摘もある。なぜ、そうしなかったのか。

 タリバンが米軍や米国民を攻撃対象としていないのに駐留を続ければ「新たな衝突につながる恐れ」があった-というのがバイデン氏の言い分だ。だが、バイデン政権が国連や「ルールに基づく国際秩序」の重視を掲げていたがゆえに、過度にドーハ合意に縛られた側面は否定できない。

 そもそも同合意は米国の「脱アフガン」に主眼を置き、タリバンと政府の対話が不調の場合にタリバンの進撃を阻止することを担保したものではなかった。期限通りの撤収に固執した結果、多くの米国籍保持者や現地協力者が現地に取り残され、退避プロセスはテロの標的にもなった。バイデン氏は31日、米軍撤収を「正しく賢明な決定だった」と強調したが、検証されるべき点は多い。

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