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Saturday, August 13, 2022

空から見ると…市街地に浮かび上がる「正方形」 現在は公園など整備、近くの橋の名前に名残が|まいどなニュース - 神戸新聞社

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神戸市の市街地に、正方形に浮かび上がる場所があった。衛星写真を見ると、道路で真四角に囲まれており、周囲の区画と向きや形状が異なることが分かる。実は以前ここには刑務所が置かれており、整った正方形のカタチはその名残だという。現在は公園などが整備され、市民憩いの場にもなっている。

始まりは罪人を収容する「徒刑場」がお寺に設置されたこと

神戸市兵庫区菊水町の一角に、空から見ると正方形の区画がある。地図上の距離で、一辺が約190メートルある。ほぼ真ん中を南北に貫く通路があって、その東側は住宅が建つ2丁目、西側は菊水公園がある3丁目という区分になっている。

ここだけ、なぜ正方形になっているかというと、過去ここに刑務所があったことが関係している。神戸刑務所が1931年頃に発行した「昭和五年刑務一覧表」から、菊水町に刑務所がつくられた経緯を拾い出してみる。

明治の初め、宇治野村にある本壽寺に、罪人を収容する「徒刑場」が設置された。宇治野村は現在の神戸市中央区下山手通7丁目で、本壽寺は今もある。

1873年(明治6)に名称が「懲役場」に変更され、翌年には7棟の監房が建てられた。収監者が増えたため、1876年(明治9)に4棟を増築している。

1892年(明治25)10月17日に菊水町へ「新築移転」と記されているから、収容人数がさらに増えて、本壽寺だと手狭になったのかもしれない。1903年(明治36)に「神戸監獄」に改称され、1922年(大正11)には「神戸刑務所」に改称された。

1922~1923年に発行された地図に「刑務所」の表記がある。ちょっと見づらいが、ほぼ真ん中あたりに見える正方形の敷地内に、整然と並ぶ監房が描かれているのが分かる。

ちなみに1930年(昭和5)末での収容者は、定員1288人に対して、実際の収容者数1357人と記載されているから、定員をオーバーしていたようだ。

菊水公園は市民憩いの場に

戦時中の1943年(昭和18)頃に明石市へ移転した刑務所の痕跡を、現在の菊水町に見ることはできない。菊水町の南、新湊川にかかる「洗心橋」の名が当時のまま残っているだけだ。出所した人がこの橋を渡り、心を入れ替えて社会復帰することを橋の名に託したといわれている。

1945年(昭和20)3月17日未明、神戸市は米軍による大空襲を受けている(神戸大空襲)。神戸市ホームページ「神戸 災害と戦災 資料館」によると、このとき「兵庫区、林田区、葺合区を中心とする神戸市の西半分が壊滅した」とある。神戸市はその後、5月11日と6月5日にも大規模な空襲を受け、神戸市域はほぼ壊滅したという。神戸刑務所が菊水町から明石市へ移転した後のことである。当時、もし刑務所の遺構が残っていたとしても、空襲で破壊されてしまったと思われる。

正方形の西側にある菊水公園は、1983年(昭和58)に神戸市によって整備され、ビオトープも一緒に整備された。ビオトープとは、自然の生態系を人工的に再現して、水辺に棲む生き物や植物を観察できる空間だ。神戸市建設局中部建設事務所によると、菊水公園のビオトープには、コイやホタルが生息しているという。また多目的広場は、地域の公園管理会が利用調整を行っており、地域の憩いの場や子供の遊び場として利用されといるそうだ。

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