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Sunday, August 28, 2022

“神風”は本当に吹いた? 「水中考古学」で浮かび上がる歴史に迫る | 佐々木ランディに聞く 「日本に眠る遺産」 - courrier.jp

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水中への飽くなき探究は紀元前から。マケドニアのアレキサンダー大王は潜水具「ダイビングベル」を利用して海底の様子を見ていたという Photo: Hulton Archive / Getty Images

水中への飽くなき探究は紀元前から。マケドニアのアレキサンダー大王は潜水具「ダイビングベル」を利用して海底の様子を見ていたという Photo: Hulton Archive / Getty Images

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Text by COURRiER Japon

海や湖、河川と人の関係の歴史を探る「水中考古学」。沈没船や水中遺跡のみならず、人間が水とどのように関わってきたかを調査する学問だ。

実は、日本では多くの水中考古学的「発見」があり、海外からも注目されるほどだ。と同時に、それらの遺産を守るうえで大きな課題も抱えている。

では、水底に眠る遺跡が現代人に教えてくれることとは? 水中考古学者の佐々木ランディに話を聞いた。


日本は「水中遺跡」大国だった!


──2022年2月に出版された著書『水中考古学 地球最後のフロンティア』では、水中考古学に対する想いが綴られ、印象的でした。同書で伝えたかったことは何ですか。

一番に伝えたかったのは、水中遺跡が「実はどこにでもあるもの」だということです。同時に、世界的に見て、日本がこの分野で大きく遅れをとっている事実を知ってほしいと思いました。「このまま変化を起こさないと貴重な遺産が失われていく」と。

ですが、ただ批判的に書いても面白みがないので、水中考古学の夢を伝えつつも、日本の現状がわかるような内容に仕上げました。

日本には「世界の5本の指」に入るような水中遺跡があります。たとえば、ユネスコ水中文化遺産保護条約のウェブサイトではタイタニック号やスペインのアルマダ艦隊、まだ発見されていないコロンブスの船などが紹介されていますが、それらと並び挙げられるのが、日本の鷹島海底遺跡です。同遺跡では、元寇のときに本当に神風が吹いた裏付けとなるような跡も見つかっています。

世界から見ると「日本の水中遺跡はすごい」と思われている。しかし蓋を開けてみると、国として水中の遺産を守るための政策が進んでいないのです。日本人の水中考古学研究そのものは、最先端を進んでいるのですが。

鷹島神崎遺跡の写真

鷹島神崎遺跡が発見されたエリア Photo: Equietern / Wikimedia Commons

水中考古学の世界① 鷹島神崎遺跡の発見がもたらした衝撃
元の軍船をはじめ、蒙古襲来にまつわる遺物が多数発見された鷹島神崎遺跡(長崎県松浦市)。1990年代の調査では、複数のいかりが隣接するような形で海底から出土した。一隻の船が、船体の安定性を保つために連続して投錨した可能性があり、元軍の侵攻を阻んだとされる「神風(台風)」が実際にあったことを示唆している。


──鷹島神崎遺跡について、もう少し詳しくお聞かせください。

同遺跡からは中国由来の遺物が多く見つかっていますが、朝鮮半島由来のものはほとんど見つかっていません。鷹島周辺には朝鮮半島から来た船団は集結していなかったのかという疑問が残ります。

蒙古襲来絵詞に見られる「てつはう」などの武器や武具類は数多く発見されていますが、それらに加えて、貯蔵用に使われた壺や茶碗、薪などからも当時の合戦準備の様子を調べることができます。

これまで、中国船二隻が発見されており、当時の船の構造を理解するのにも役立っています。今後の研究成果の報告が待ち遠しいですね。

──水中考古学の観点から見て、日本の政策はどんなところが遅れていますか?
基本的には、水中考古学も「考古学」と同じです。陸上であれば、土地開発の前に遺跡がある可能性が判明すると、まず調査をして遺跡を記録するのが通常の流れです。

海外であれば、パイプラインの敷設や護岸、埋め立て工事の前には事前調査を実施します。そこで発見されたものはデータベース化されていて、工事前に発掘することを徹底させる法律も存在します。イギリスやデンマークであれば数万もの水中遺跡が登録されていて、海中の歴史的遺物を保護するシステムがあるのです。

しかし日本では、海洋開発に際して事前調査を義務付ける法律がありません。水中遺跡は「漁師やダイバーなどから寄せられる情報」と「開発前のアセスメント」で発見できることがほとんどなのですが、これらのシステムがそもそも存在しないという状況にあります。

──それは、とても歯がゆいことに感じます……。

「そもそもここのエリアには遺跡がないじゃないか」と言われても、開発の過程ですでに壊されてしまったケースがあるわけです。

日本では今、文化庁が法整備に乗り出しています。しかし、水中遺跡を守るためには、文部科学省や国交省など省庁を超えた連携が必要なのにもかかわらず、内閣府があまり動いていないのが現状です。

「遅い法整備」がもたらすリスクも


──水中考古学の分野で進んでいる国はどこですか。

やはり北欧諸国が進んでいる印象ですが、お隣の韓国や中国でも法整備が進んでいます。

中国では、2022年4月1日から新しい水中文化遺産に関する法律が制定されました。新法では海洋開発前の調査が必要となるほか、他国の領海以外の場所、つまり日本の排他的経済水域(EEZ)や公海も含め、中国に起源がある遺物に対しては「基本的に中国が管轄・管理する」という法律ができています。

──日本のEEZであっても、中国が調査する権限を持つのですか!?

日本は領海内であれば、陸の埋蔵文化財の法律が適用されるのですが、日本はEEZにある文化的遺物に関して、まったく規定を定めていないのです。

もし自国のEEZで遺跡が見つかっても、日本がそれを文化財として扱う法的根拠が何ひとつありません。法的に保護ができないゆえ、現況では中国に頼るしかないと考えられます。

日本がEEZで見つかった文化財を保護するプロセスを持たないとなると、遺跡がそのまま破壊されてしまう可能性もあります。中国からすれば、自国の文化遺産が壊れていくのは傍観できないでしょう。ですから、仮に日本のEEZで中国由来の遺跡が見つかった際、国際的に見ても、調査の法的根拠や研究リソースを有する中国に調査の正当性があると、認めざるを得ないかもしれません。

たとえば過去には、アメリカではトレジャーハンターたちがスペインのガレオン船などの一部を引き上げたことがありました。しかし、スペイン政府が自国の文化遺産であることを理由に裁判を起こした事例もあります。

水の中で歴史がそのまま垣間見える


──水中考古学の調査ではどんなものが見つかるのですか。

水中遺跡というと、巨大な海底神殿や沈没船を浮かべるかもしれません。しかしほぼすべての水中遺跡は、ただ陶磁器が散在しているのが見つかるとか、その程度の発見がほとんどです。

ヴァーサ号のような大きな発見も例外的にありましたが、考古学的に価値があるものというのは、本当は皆が気付いていないような身近なところに眠っています。

沈没船ヴァーサ号の写真

Photo: Jabin Botsford / The Washington Post / Getty Images

水中考古学の世界② 海に沈んだ悲劇の戦艦
スウェーデン海軍の戦列艦「ヴァーサ」は、バルト海にて1961年に引き上げられ、現在はヴァーサ博物館で展示されている。バルト海の酸素濃度が低く、フナクイムシが生息していなかったことから良好な状態で発見された。建造の途中で無理な増築をくり返したことが原因となり、1628年に初航海に至ったものの約1キロ走行しただけで横転し、沈没した。


──具体的な調査方法について教えてください。

まずは現地での聞き取りです。地元の漁師やダイバーに、海中で壺などの遺物や構造物を見たことがあるかを尋ねます。そこから、海の地質や潮流を調べて調査ポイントを絞っていきます。次に、音波を使って海底面の様子を探る、という流れです。

水中遺跡は陸近くで見つかることが多いのも特徴です。あまり大海原で船が沈没することはなく、だいたい沖でコントロールを失って、何とか陸に戻ろうとする途中で座礁するケースがほとんどです。そのため、沈没しやすい地形から探っていくこともあります。江戸時代以降は、海難事故の記録が残っているため、そうした文献から分析できるのです。

個人的には、音波探査が好きな作業の一つです。海中の様子が音波で映し出されるので、それが人工物なのか、ただの岩なのかと考える。その後、水中ロボット調査や潜水で実物を見るのが楽しみです。

──現代人が水中考古学を学ぶ意義は何なのでしょう?

米作り、文字、仏教にお茶──日本の文化は基本的に大陸から伝わってきました。それらを誰が、どうやって伝えたのかを探るうえで、糸口となるのが沈没船です。

沈没船は「その時代、その瞬間」をとどめている遺跡です。陸の遺跡は地層の下に埋もれてしまいますが、沈没船を一つ発見できれば、たとえば「1287年6月13日の午後」のまま、すべてを見られます。

また、船で物を運ぶときには無駄なものを持っていきませんよね。いまから見れば不要な品でも、当時ではそれが必需品だったと──船の積載物がかつての社会を映し出す鏡になるんです。

船から見つかるのは交易品だけでなく、個人の荷物やお土産などもあります。たとえば、新大陸からスペインへと戻る際に沈没したとみられる船からは、黒曜石で作られた武器が発見されています。乗組員の誰かが現地で見つけたときに珍しいと感じ、「お土産」として持ち帰ったのかもしれません。

そのほかにも、イスラエルの沖からムスリム商人の船が数隻発見されていますが、食べることを禁じられている豚の骨、また、キリスト教徒の持ち物と思われる遺物も船から見つかっています。教科書で習う歴史では、一帯はイスラム一色だった印象を受けるかもしれませんが、当時の庶民は多様な文化を受け入れて生活していたのだろうと推測できます。

このように、水中の遺物から当時の社会についての理解を深められるわけです。

佐々木ランディ氏の写真

水中考古学者の佐々木ランディ。京都府丹後の水中遺跡を調査したいという高校生の願いに応え、クラウドファンディングで調査費の調達を実現した Photo: ©️キンマサタカ


──今、調査したい場所はありますか。
太平洋側は、ペリーが来航するまではあまり航路として使われておらず、かつては日本海側が「日本の表舞台」でした。ですから、日本海側には、陶磁器類を満載した東アジアの交易船はもちろんのこと、遣唐使船や大陸との交流に使われた弥生・古墳時代の船も見つかるかもしれません。 

一方で、都市部の大きな湾はすでに埋め立てられているので、あまり発見がなさそうですね。

──これまでの発見で印象的だったことを教えてください。

過去の発見で興味深かったものは何かと聞かれることは多いのですが、「そのような発見はまだまだこれから」と感じています──明日発見されるものが一番の発見ですね。


PROFILE

佐々木ランディ
1976年生まれ、神奈川県出身。水中考古学者であり、一般社団法人うみの考古学ラボの設立者。サウスウェストミズーリ大学卒業後、テキサスA&M大学大学院で博士号(人類学部海事考古学)を取得。同大学では「水中考古学の父」として知られるジョージ・バス氏に師事する。アジアの水中遺跡調査を数多く行うほか、文化庁の「水中遺跡調査検討委員会」に参画。日本国内の水中遺跡の保護に向けた活動に尽力する。著書に『沈没船が教える世界史』。

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