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Tuesday, December 21, 2021

町を飲み込んだ「白い凶器」 防潮堤をせり上がる流氷津波は想定外 - 毎日新聞 - 毎日新聞

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1952年3月、十勝沖地震発生後の霧多布地区。板状の流氷と共に家屋が漂っている(北海道浜中町提供) 拡大
1952年3月、十勝沖地震発生後の霧多布地区。板状の流氷と共に家屋が漂っている(北海道浜中町提供)

 21日に発表された日本海溝地震と千島海溝地震の被害想定で、最大13万7000人の死者が出るとされた北海道。厳寒期の北の海を漂う冬の使者・流氷が津波で市街地に押し寄せれば、道内13市町で建物倒壊などの被害が悪化するという。約70年前の十勝沖地震では浜中町霧多布(きりたっぷ)地区を流氷が襲い、家屋を破壊するなどの甚大な被害が出た。過去の教訓はどう生かされているのか。「流氷津波」を経験した町を歩いた。

 「白い凶器だ」。雪の降る季節となった浜中町で、亀井博さん(85)は津波被害を目の当たりにした15歳当時の記憶をたどり、こうつぶやいた。1952年3月4日午前10時22分。一帯はマグニチュード8・2の地震に襲われ、通常であれば海産物にミネラルをもたらす「海の恵み」であるはずの流氷が凶器に変わった。

「津波災害復興記念碑」の前に立つ福沢栄さん。「流氷津波」は後方の二つの島の間を通り、福沢さんが指さす方向に押し寄せた=北海道浜中町の霧多布大橋近くで2021年12月17日午後0時56分、本間浩昭撮影 拡大
「津波災害復興記念碑」の前に立つ福沢栄さん。「流氷津波」は後方の二つの島の間を通り、福沢さんが指さす方向に押し寄せた=北海道浜中町の霧多布大橋近くで2021年12月17日午後0時56分、本間浩昭撮影

 亀井さんは、近くにある長さ約5メートルの倉庫を指さし「あれの半分くらいの大きさはあった」と振り返った。「5、6人の男性が鉄工所の2階の屋根に登ったまま流され、助けを求めていた」とも。自身は家族と共に高台に逃げて一夜を明かした。日の出前に市街地に戻ると、数々の家屋が流氷に押しのけられていた。

 太平洋沿岸では浜中町を含めて28人が死亡し5人が行方不明に。815棟の住宅が全壊した。町内ではその8年後のチリ沖地震の津波でも11人が命を落としている。「三たびの災害を繰り返さないように」。町には、こうした願いを込めた「津波災害復興記念碑」が建っている。

 「真っ黒い壁のような津波が襲って来た」。その記念碑の脇で十勝沖地震を振り返るのは、かつて町議長を務めた福沢栄さん(88)だ。当時18歳。厚手のコートを着込み、ソリに祖母を乗せて馬で引っ張り、高台に避難した。「強い揺れが収まると、浜中湾の半分くらいまで水が引いた」。周囲に点在していた、大きな氷の塊が今も目に焼き付く。

市街地を囲むように防潮堤が設置されている北海道浜中町霧多布地区=2021年11月16日(同町提供) 拡大
市街地を囲むように防潮堤が設置されている北海道浜中町霧多布地区=2021年11月16日(同町提供)

 北海道が今年7月に公表した想定によると、浜中町霧多布地区の最大津波高は9・3メートル。2度の津波被害を経験した町は1月、浸水の恐れがあった町役場を標高42メートルの高台に移転した。役場は震度7に耐えうる免震構造。市街地を総延長約3・2キロの防潮堤(高さ5・2メートル)で取り囲む工事も進んでいる。

 それでも、石塚豊・町防災対策室長(57)は「防潮堤は津波の圧力に基づいた設計で、流氷がせり上がって越えていくことは想定していない」と語る。

 内閣府が発表した被害想定は、道内の全壊棟数について、流氷被害を考慮して3000~5000棟増加すると予想する。日本海溝地震は約12万1000棟、千島海溝地震では約5万6000棟としている。流氷被害が見込まれる13市町には、想定を踏まえた対応が新たな課題となる。

 人口約5500人の浜中町は今年1月時点で高齢化率が3割を超えている。石塚室長は「今回の被害想定を盛り込んだ施設整備や対策を検討したい」と話す。【本間浩昭、米山淳】

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